「無断リンク禁止」に対する喩えで忘れられがちなこと

無断駐リン禁止 - takoponsの意味

を読んで、コメント欄でのお仲間たちたちと楽しげに和気藹々としている雰囲気に水を差すようで気が引けないわけではないのですけど、

弟:となると、「断りのないリンクはお断りします」と主張してる人って、いろいろ間違ってる?

兄:そうかもね。自分が間違っているかもしれない、という視点に立てないこと。これが一番の問題ぢゃないかな?

無断駐リン禁止 - takoponsの意味

この手の結論を導くような喩えにおいて、考慮することを無視されがちな特性が「無断リンク禁止」には含まれているような気がします。それは、無断リンクをされる側がしようと思えばいつでも、自分の書いたものを変更したり削除できるという点です。つまり、「無断リンク禁止」を宣言している人が、「リンクをされる前に自分の書いたものを変更したり削除したりするかどうかを判断したい」と考えている可能性です。

踏み切りの手前で立っていたら突然他人から背中を突き飛ばされて線路に躍り出てしまったら、ちょっとたまらんですよね。その行為が法律で禁じられているいないに関係なく、突き飛ばした相手に「お前なんで無断で突き飛ばすんだよゴルァ」と詰め寄りたくなるのは自然なことと思います。つまり、事前に「お前がそこに立つなら後ろから突き飛ばすよ、伝えたからな」と通達があれば、その場に立つのを諦めたり、背中を誰かに警護してもらう手はずを整えることもできるわけです。言い換えると、「突き飛ばすなゴルァ」(これは法律を根拠に主張できる嫌悪感)とは独立に、「無断でするなゴルァ」があるわけです。

たまたま踏み切りと自分の間に人が立っていることはあるでしょう。だからといって、その人の背中を突き飛ばさなければ、その突き飛ばしが原因でその人が線路に躍り出てしまうことはありません。自分が突き飛ばさなくても、他の人が突き飛ばすかもしれません。しかし、そのことと自分が突き飛ばすことはまったくの別物です。同様に、あるサイトをたまたま目にすることはあるでしょう。だからといって、そのサイトにリンクを張らなければ、そのリンクが原因でそのサイトが他人からの目に晒されることはありません。自分がリンクを張らなくても、他の人がリンクを張るかもしれません。しかし、そのことと自分がリンクを張ることはまったくの別物です。

さて、踏み切りで無断で背中を突き飛ばされることを個人として許容する人はいるでしょうか。ほとんどいないのではないでしょうか。ならば、「無断突き飛ばし禁止」をわざわざ宣言しなくても、無断で突き飛ばされたときに「無断で突き飛ばされるのを嫌がっていない奴がいったいどこにいるんだよ?」との根拠のもとに「無断でするなゴルァ」を主張できるでしょう。一方、無断リンクについては、それをされるのを個人として許容する人はいくらでもいます。ならば、「無断リンク禁止」を宣言しないと、無断でリンクをされて「無断でするなゴルァ」を主張したとしても、相手から「無断でリンクされるのを嫌がっているなんて知らんかったもん」と困られてしまうわけです。だからこその(「リンクするなゴルァ」を主張する目的ではなく、あくまでも「無断でするなゴルァ」を主張するための)「無断リンク禁止」宣言である可能性は否定されていないのではないでしょうか。

さて、この「無断でするなゴルァ」を加味した形で、どのような喩えを用いると、

弟:となると、「断りのないリンクはお断りします」と主張してる人って、いろいろ間違ってる?

兄:そうかもね。自分が間違っているかもしれない、という視点に立てないこと。これが一番の問題ぢゃないかな?

無断駐リン禁止 - takoponsの意味

という結論が得られるでしょうか。どのような喩えが繰り出されるのか、ちょっと興味があります。

言及レス

なんだか

foresetiのログ

から言及をされているようだけれど、肝心の本記事の内容に対して具体的にどの部分が反論になっているかを述べることなく、ただ長々しい文章が存在している場所を紹介して、その一部として反論となっている箇所があるとほのめかすだけならば、実質的には反論として成立していないような気がします。

もしもその長々しい文章の内容をよく理解しているのなら、具体的にどの部分が本記事の反論になっているのか指摘することくらい簡単なことなのではないでしょうか。