「揚げ足取り」という言葉の存在理由

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fujiponさんの喩え話への反応に対する違和感 - くっぱのブログ

のコメント欄において

2008-04-07

のコメント欄においてなされた議論が「揚げ足取り」行為であるか否かについてotsuneさんと議論が続いているわけですが、fujiponさんの言葉に対して、

心の中ではそう思っていたが、文章では書かなかった。などの経緯が有ったとしても第三者からは観測出来ませんから除外します。

fujiponさんの喩え話への反応に対する違和感 - くっぱのブログ

との方針に基づいて、otsuneさんは

fujiponさんが道交法に無知で誤解している

fujiponさんの喩え話への反応に対する違和感 - くっぱのブログ

との判定を下し続けています。この態度というのはどうなのでしょう。

例えば、刑事裁判においては、たとえ被告人が検察側が用意した犯行シナリオに矛盾しない形で自白をしていたという事実があったとしても、状況証拠が別のシナリオにおいても矛盾していない場合には、必ずしも有罪とはならないのではないでしょうか。一般に、検察側には他のシナリオであるとすると矛盾が生じることになるような証拠の提出が求められることになるのではないでしょうか。

相手が自分が用意したシナリオに矛盾することを述べていないということを理由に、相手の意図にそれ以外のシナリオの可能性はありえないことを示すことなく判定を下すという行為について、「やってはいけないことである」との結論を導く論法を私は知りません。しかし、そのコミュニケーション姿勢に何らかの違和感を感じる人が存在するからこそ、他の姿勢と区別するために、「揚げ足取り」という言葉は存在しているのではないでしょうか。