「疑わしきは罰せず」はただ言いえばいいというものではない

議論において「Aが生じるのはBだからなのでは?」という主張がなされたとしましょう。この主張が意味するところは「Aに関する以降の議論においてBを前提に結論を導くことを受け入れろ」という要求なので、この要求の受け入れを阻止するには反論が必要となります。

このようなケースにおいてよくなされる反論として、「他の理由でAが生じないと証明されていない」という主張があります。それに加えて「疑わしきは罰せず」と声高に叫ぶ人を目にすることもあります。しかし、残念ながらこれだけでは筋の通る反論にはなりません。なぜなら、反論として筋を通すには「Aが生じるのはBだからとは必ずしも言えない」を主張しなければならないのですが、上記の主張はその形になっていないからです。「他の理由でAが生じないと証明されていない」は、必ずしも「他の理由でもAが生じる」を意味しないわけです。

では、「Aが生じるのはBだからとは必ずしも言えない」を主張するにはどうすればいいのでしょう。Aが生じる別シナリオCを提出すればいいのです。つまり、「Aが生じるケースとしてBというシナリオも筋は通るが、Cという別シナリオでも筋が通るから、Aが生じるのはBだからとは必ずしも言えない」との主張をもって、「疑わしきは罰せず」の適用を要求するわけです。それなしの「疑わしきは罰せず」適用要求は時期尚早であって、議論妨害に他なりません。

もしも別シナリオCが見つからなければ、とりあえずBを前提にすることを受け入れるしかないでしょう。しかし、それは暫定的な受け入れでしかないので心配はいりません。Cが見つかり次第、それを議論の場に提出すればいいだけのことです。それさえすればBを前提に構築された論理はいとも簡単にひっくり返すことができるのだから、Cが見つかる前に必死になって「疑わしきは罰せず」適用要求みたいな無理な議論妨害をする必要なんてないのではないでしょうか。