ウェブにおける公開は特殊事例なのか

ウェブに文書などを公開すると、その内容について他人から公然と(つまり公開された形で)コメントをされることがあります。もちろん、公開された文書の中で文脈的になされている主張に対して反論をする形のコメントであるならば、何ら問題はないように思います。しかし、そうではない、いわゆる「いわれのない」内容(つまり議論の形をとらない内容)であっても、公開されたものなのだからコメントしても構わないという人も中にいるようです。しかし、そのような人は、たとえウェブでなくても公開されたものなら何にでもそのようにして構わないと思っているのでしょうか。

たとえば、街を奇抜な服装をして歩くような人がいたとしましょう。その人は自分のそばを他人が歩く自由を何ら制限しているわけではないので、自身がどのような服装をしているのかについて人々に公開しているといえるでしょう。もしかしたら、その人の服装を目撃した誰かが「こいつ変な格好をしていて目障りだから、死ねばいいのに」と心の中で思うこともあるかもしれませんが、そのことについては特に不思議なことではないような気がします。中には自分の友達に「あいつ死ねばいいのにw」と思っていることを打ち明ける人もいるかもしれませんが、そのことについても特に不思議はないように思います。しかし、相手個人を特定したうえで「あいつ死ねばいいのにw」と書いたビラを道を通る人が誰でも見れるような形で自身の家の塀に公然と貼り出したりする人はいったいどこにいるのでしょう。

自分の友達に「あいつ死ねばいいのにw」と思っていることを打ち明ける行為をネットでいえば、自身が個別に選んだ人にメールで(あるいは、自身が個別に選んだ人のみしかアクセスできないように制限されたウェブ上のサービス上で)打ち明ける行為に対応するでしょう。一方、ウェブにおいて議論ではない形で公然と他人についてコメントする行為は、自身の家の塀に相手を特定したうえでその人のことについて書いたビラを貼り出す行為と何ら変わらないのではないでしょうか。

ウェブにおいて他人に公然といわれのないコメントをする人たちは、はたして自身の家の塀に他人についてビラを平気で貼り出すことも平気でするのでしょうか。もしもそうでないのならば、「公開されているのだから」はウェブにおいて公開されている文書にいわれのないコメントをしてもよい理由にはならないような気がします。

ブコメレス

個別に考えれば良いと思う。

はてなブックマーク - ekkenのブックマーク / 2009年6月1日

私が言いたいことはそれなのです。すべての環境において「他人にいわれのない(議論の形になっていない)コメントをしても構わない」が成立すると言えないのならば、ウェブという個別の環境においていわれのないコメントを他人にした人が他人から「お前の行為はいかがわしい」と非難されたときに「俺の行為はいかがわしくない(俺はしても構わない範囲でしか行動しかしていない)」と主張するためには、なぜウェブという環境では特別に「他人にいわれのないコメントをしても構わない」と言えるのかについての根拠を明かす必要があるというわけです。

微妙だなぁ。なんか違和感がある。

http://b.hatena.ne.jp/straymind/20090601#bookmark-13759420

その違和感がどこにあるのかを明かしてこそコメントなのではないでしょうか?

また「街」か。街を歩くのはたとえ奇抜であろうとも「公開」じゃないだろ。奇抜な格好で歩くことが目的なら別だが

はてなブックマーク - lastlineのブックマーク / 2009年6月1日

もちろん、lastlineさんのおっしゃる「目的」が「公開」の基準であったとしても、ウェブに文書をアップした目的が「その文書から文脈的に生じる内容の主張をすること」であったならば、たとえば文脈から外れて言葉尻をとらえただけの揚げ足取りコメントやセクハラコメントなどは、奇抜な格好で歩くことが目的ではない人を見つけてその人の奇抜な格好を名指しで公然と笑う行為と何ら変わらんのでは?

まぁここに出てくる「いわれのないコメント」の示すものは、規約違反もしくは名誉毀損の範疇で解決できるんじゃないかなぁ。「死ねばいいのに」だし

はてなブックマーク - otsuneのブックマーク / 2009年6月2日

規約や名誉棄損判決はそれを制定した組織や国家が構成員に与えているサービスであって、それがすべてであるというのならば、個人は組織や国家などの社会空間の総意のようなものにのみ責任を負えば、自分が選んで行為をなした相手個人には直接責任を負わなくてもよいということになりそうですがw

WWWをどう捉えているか問題。 / 公開というより出版とか展示に近いのかな。 / WWWは、ソコに有って誰もが往来せざるを得ない場所なのかどうか。プライベートとシームレスな空間かどうか。 / 公共空間。

はてなブックマーク - kana-kana_ceoのブックマーク / 2009年6月2日

個人がWWWをどのように捉えるもの自由だと思いますけど、「自分が前提としているWWWの在り方」に基づいて相手にちょっかいを出す場合は、「自分が前提としているWWWの在り方」をなぜ相手も受け入れなければならないのかの説明が必要なのではないかということなのです。