いいや「拾いもの画像」は拾った人のものじゃ!

釣りのようなタイトルになってしまいましたけど、他人同士のかかわり方を考える上で興味深い事例および議論を目にしたので、私も私なりに少し考えてみたいと思います。事例の内容については、

どうやら海外のウェブサイトから見つけてきた画像を再配布している記事を、パクられたことで怒っているようなのだ。

「拾いもの画像」は拾った人のものじゃない:ekken

だそうで、議論の方向性としては「怒るに至ことになる背景に存在する筋合い」について疑問を呈しているということになるかと思います。しかし私個人としては、その筋合いについては説明ができるような気がしています。

たとえばAさんがBさんのある身体的な特徴(たとえば、チビとかハゲとかデブとか)に気付くという形で、落ちていた「Bさんの身体的な特徴に関するその注目点」を拾ったとすると、もはやその拾ったものはAさんのものです。ただし、その拾われたものがどのように使われたのかにつてBさんが知ることとなり「なぜお前からそのような使われ方(たとえば、陰口などの行為)をされることを俺が受け入れなければならないのか説明せよ(つまり、お前が他人である俺にちょっかいを出している形になっているのではないことを筋が通るように説明せよ)」と要求をされたときに筋の通る説明ができる範囲で使用しなければならないという制限がつくわけです(この点が譲渡されたものと拾われたものの違いなのかもしれません)。そして、Aさんが「Bさんの身体的な特徴に関するその注目点」を使用したときに、これをCさんが拾ったとしたら、当然Cさんもこれを使用する際には、Aさんからの「なぜお前からそのような使われ方(たとえば、Aさんからの拾いものであることを明かした上での陰口による更なる広範囲への再配布や、Bさんへの告げ口行為など)をされることを俺が受け入れなければならないのか説明せよ」との要求に対して筋の通る説明ができる範囲でという制限がつくということになるでしょう。

つまり、情報などのように接触しただけで拾えてしまうようなものについては、拾ってしまったら、もはや拾った人のものになってしまうのだけれど、それを使う際には、落とし主から「なぜお前からそのような使われ方をされることを俺が受け入れなければならないのか説明せよ」と要求されたら筋の通る形で説明をする必要が生じるという意味で、『預からされているもの』のような扱いになるのではないでしょうか。

それで、話を元に戻して、

俺が問題としているのは「自由に使っていい」という画像を紹介した記事について、その画像と同じものを掲載した他者を「私に断りもなく使った」と相手を非難していること。

続々・「拾いもの画像」は拾った人のものじゃない:ekken

ですが、ネット上にあまた存在する玉石混淆のフリー画像の中から良いものを拾い集めたら、それは拾い集めた人のものになっているわけで、それをその人のサイトから拾って使う場合には、当然そのサイト主から『預からされているもの』となるでしょう。

たちばなさんが検証の為に設けた、自分のエントリと相手のエントリのリンクを比較すると、確かにパクリ臭が感じられる。件の「海外のウェブサイト」では数え切れないほど多くの画像がアップされているにもかかわらず、お二人がYahoo!ブログに掲載した画像が全て同じという偶然はちょっと考え難い。(相手のエントリに掲載された画像の方が、数が少ないことから、相手はたちばなさんが紹介したものの中から気に入った物を選んだと思われる)

続・「拾いもの画像」は拾った人のものじゃない:ekken

が本当ならば、「私に断りもなく使った」と相手を非難する形で「なぜお前からそのような使われ方をされることを俺が受け入れなければならないのか説明せよ」と要求することに何ら問題はないでしょう。

それも「(自分に)一言コメントするのがマナーです」という正しいとは思えない理屈を持ち出したことだ。

続々・「拾いもの画像」は拾った人のものじゃない:ekken

についても、「もしも上記の要求に対して筋の通る説明ができないのならば、そのような使い方をする際に『一言コメント』という形で、その要求がなされるか否かについて俺に伺いをたてておくのが礼を失しないための手順なのではないのか。もしも違うというのなら筋の通る反論を述べよ」ということなのではないでしょうか。

「画像の使用に一言コメントをするのがマナー」と考えるたちばなさんは、その海外サイトのウェブマスターや画像作成者に「一言コメント」をしましたか?

続々・「拾いもの画像」は拾った人のものじゃない:ekken

とありますが、たちばなさんが「紹介されたラインナップの中の個々の『画像』を使用する際に、ラインナップを作成した人に一言コメントをするのがマナー」と考えているとするのは誤りであって、素直に解釈するならば「紹介された『画像のラインナップ』そのものを使用する際には、ラインナップを作成した人に一言コメントをするのがマナー」と考えているとするのが自然であるような気がします。

ブコメレス

あいかわらず飛躍しすぎのたとえ話が面白い。

はてなブックマーク - ekkenのブックマーク / 2009年3月31日

この人、自分の論が「飛躍に基づく批判(批判を導くに至らない解釈が存在するにもかかわらず、批判するのに都合のよい別の解釈に基づいてなされる批判)」になっている可能性を指摘されていることに気が付いていないのかな?

pyaのようなサイトもどういう感覚でみんな思ってるのか気になる。サイトがあって管理者がいて投稿主がいてそれを見る人たちがいて・・・、みたいな。

はてなブックマーク - HolyGrailのブックマーク / 2009年3月31日

他人からの「預からされもの」ではない作品をそのような作品を投稿することの可能なサイトに投稿して、そのサイトに訪れる人に見てもらうことに何ら問題はないけれど、「預からされもの」を投稿する場合は、預かられ主から「なぜお前からそのような使われ方をすることを俺が受け入れなければならないのか説明をせよ」と要求がなされたときに筋の通る説明をしなければ無責任ということになるというのは、割と自然な感覚だと思いますけどいかがでしょう。

トラバレス

なってないからッ!

http://d.hatena.ne.jp/ekken/20090401/1238580144

議論においては、この人が「なっている・なっていない」をどのように判断するかが明らかになることなんてまったく重要ではなくて、どのような理由で「なっていると言い得ない」のかが明らかになることが重要なわけですけどw

「ネット上にあまた存在する玉石混淆のフリー画像」について、他人の使用を制限するというのは「著作権を主張」しているわけで、作成者の許可無くそれを行うならそれって、窃盗といってもいいんじゃないかと。

えっと…著作権って知ってます? - あれとかこれとか (Lefty)

揚げ足取りではない形で「個々のフリー画像を使用するな」と要求していると解釈するためには、少なくとも「お前が公開したラインナップが俺が選んだラインナップに依存しているわけではないことを証明せよ、さもなければ俺に一言コメントしてから公開せよ」と要求していると解釈するのが不可能であることの根拠を明かす必要があるような気がします。

「身体的な特徴」を拾うというのは、その「拾う」ということ自体があるいみ創作活動なわけで、その時点でAさんとはある意味切り離されているわけです。(写真の著作権は被写体じゃなくて撮影者にある)

でも、Aさん自体にそれが及ぶわけではないですよね?

えっと…著作権って知ってます? - あれとかこれとか (Lefty)

おっしゃることの意味がよく解りません。被写体から「なぜお前から俺が写っている写真をそのような使われ方をされることを俺が受け入れなければならないのか説明せよ」と要求をされたら撮影者は筋の通る説明をしなければ無責任でしょうし、撮影者から「なぜお前から俺が撮影した写真をそのような使われ方をされることを俺が受け入れなければならないのか説明せよ」と要求をされたら写真の2次使用者は筋の通る説明をしなければ無責任ということになるということについて、なんら不思議な点はないように思いますけど、いかがでしょう。

私のたとえではAさんは撮影者、Bさんは被写体、Cさんは写真の2次使用者に対応しているわけで、ならば写真使用に関する上記の論理展開のいったいどこに無理があると主張されているのでしょうか。そのあたりを明かさない限り、現状では「quppaは

部分的ではあれ、明らかな誤りを認めない

えっと…著作権って知ってます? - あれとかこれとか (Lefty)

という態度をとっている」とのせっかくのご指摘も、口先だけのものにしかなっていないような気がします。