ブコメシステム改良案

ソーシャルブックマークが「インターネット先進ユーザ」以外にも利用されるようになるには、まずはこのような「バカなコメント」「無礼なコメント」を封じ込める必要がある。

http://blog.pasonatech.co.jp/yokota/199/9711.html

このことについての実現を目指したブックマークコメントサービスにおけるシステム的な改良案が書かれていた記事ですが、コメントをされる側の立場を想像をしてみると、何らかの改良をしてほしいと感じている人は少なからずいるのではないかという気は確かにします。

そして、この記事の中で述べられているように、コメントをされた人が自由にコメントを選んで非表示にできるようにするというのは、本質的ではないという点もその通りだと思います。記事の最後の文章として

ソーシャルブックマークのコメントは、自分では正常な評価ができない場合もある。ただ単に自分の気に入らない物をブロックするような進化では「ソーシャルブックマーク」は民主主義の敵となるのかもしれない。

http://blog.pasonatech.co.jp/yokota/199/9711.html

とまとめられていますけど、「バカなコメント」「無礼なコメント」を封じ込めるというよりは、「自分に都合の悪いコメント」を封じ込めることを主目的とした利用がなされる可能性が高いと思うからです。

それで、この記事における提案というのが、

個人的にはスラッシュドットでも、採用されているような、モデレート制を採用したら良いと思う。モデレート制度では、ある読者のコメントを違う読者が判断できる。

http://blog.pasonatech.co.jp/yokota/199/9711.html

なのですが、私はもう一歩進めて、

  • コメントをされた記事を書いた人のみが、そのコメントに対してコメントを付けることができるサービス(コメントを付けられたコメントは、以降において削除や書き換え、非公開への変更ができず、必ず付けられたコメントを伴って表示される)

を導入してはいかがかと思います。

そもそも、「バカなコメント」や「無礼なコメント」の問題は、なぜコメントをした人がそのような結論に至ったのかが明かされていないという点にあります。「バカがまた変なことを言っている」みたいなコメントが「無礼」っぽくなる理由は、コメントされた記事のどの部分が原因でその人が「バカがまた変なことを言っている」との結論を得たのかが明かされていないからです。たとえば、友達関係がうまくいっていなくてむしゃくしゃしてたまたま目についた記事に八つ当たり的にになされたコメントだということが明かされたうえでの「バカがまた変なことを言っている」ならば、コメントの内容と記事は無関係であるという意味で、もはや「無礼なコメント」ではなく「意味なしコメント」として扱われることでしょう。また、記事のどの部分に間違いがあるか具体的に指摘したうえでの「バカがまた変なことを言っている」ならば、「間違い指摘」+「自身におけるバカ判定ラインのひけらかし」であって、これまた「無礼なコメント」とはいえないでしょう。「間違い指摘」部分がコメントの本体であり、「自身におけるバカ判定ラインのひけらかし」部分は「意味なしコメント」として扱われることになると思います。

しかし、コメントが「無礼」っぽくなる理由が解ったとしても、「無礼なコメント」をする人が皆無になることはないような気もします。だからこそ、「無礼なコメント」をされた側が「意味なしコメント」である可能性を直接指摘できるようなシステムになっていたとしても、いいような気がするわけです。

なお、ブコメをする側の立場の人にとっては、まともなコメントをしたにもかからわず相手から逆に「無礼なコメント」を貼り付けられて、さらなるコメント返しも削除もできないままにそれを晒し続けなければならないというのは不公平ではないか?という考え方もあるかもしれません。しかし、ブコメをされる側はされる・されないを自由には選べないのに対して、ブコメをする側はブコメをしない自由は制限されていないわけです。電話セールスで相手からけんもほろろに断られるのが嫌ならば、そのような断られ方をしないようなセールストークを磨くなり、その仕事を辞めるなりするのは、電話セールスという仕事をしているその人本人であるというのと同じ意味で、不公平でも何でもないという気がします。他人にちょっかいを出す(あるいは、いらぬお節介になるかもしれないお節介をする)という行為は、本来そのような覚悟のもとになされるものではないでしょうか。