「街の悪ガキを叱るカミナリ親父」は失礼

ネットで他人からの語りかけ行為を失礼にする方法 - くっぱのブログにつけられた公開ブックマークコメント

「迷惑行為」への指摘の是非と、それが「失礼」かどうかは価値観によるって人も居るだろうなぁ。「街の悪ガキを叱るカミナリ親父は失礼」と言ってるのと似たようなもんだし

はてなブックマーク - otsuneのブックマーク / 2009年1月12日

についてですけど、よその街の「悪ガキ」を叱っても失礼にならない「カミナリ親父」の存在なんて、単なる都市伝説でしょう。

自分の家の「悪ガキ」を叱る家庭の「親父」を考えてみましょう。これが失礼にならないのは、親父の「俺に任せろ、悪いようにはしねぇから」と悪ガキの「仕方がねぇ、任せるしかねーか」という関係を前提としているからです。たとえば大工の棟梁なんかが、自分が抱えている職人の家族もひっくるめて「俺に任せろ、悪いようにはしねぇから」的に面倒を見ている場合も、棟梁が職人の家の「悪ガキ」を叱ったとしても失礼と扱われないかもしれません。

しかし、街の「悪ガキ」が「仕方がねぇ、任せるしかねーか」と傘下には入らざるをえないような「親父」というのは、いったいどこに存在するのでしょう。そのようなものは空想上の存在でしかないような気がします。そのような「親父」の代わりを担うのは、国家や自治体、あるいはその場を取り仕切ることを任されている運営企業や団体くらいしかないのではないでしょうか。

というか、「街の悪ガキを叱るカミナリ親父」というのは、はたして「俺の叱りに従ったことで支障が生じたなら、俺のところに来い。俺がお前の面倒を全部見てやる」という覚悟をもって叱っているのでしょうか。叱った後で相手にその気概や実現可能性を伝えることに成功しているのでしょうか。それなしに叱り散らしているだけでは、相手に対して失礼がないとは言い難いような気がします。