喩えの用い方

喩えを用いると相違点についての突込みが入ることがあるのですが、単なる妨害工作なのか、それとも反論として成立しているのか、そのあたりについて論じてみます。

具体例として、100人の人間からなる集団2つと100円玉2枚について考えます。

まず、グラウンドで待っている100人のある集団に別の100人の集団が合流すると200人になるのかどうかを論じる場合に、100円玉が1枚あって更にもう1枚もらって200円になるようなものだと喩えたとします。しかし、ぴったり200人であるかそうでないかが重要であるとき、例えばグラウンドで待っている100人のうちの誰かが貧血で倒れて保健室に運ばれて人数が少なくなると成立しなくなるような論の前提として用いようとしている場合には、100人の集団を100円玉に喩えることには無理があるということになります。

次に、100円玉が1枚あって更にもう1枚もらって200円になることを、グラウンドで待っている100人のある集団に別の100人の集団が合流すると200人になることに喩えたとします。グラウンドで待っている100人のうちの誰かが貧血で倒れて保健室に運ばれて人数が少なくなる可能性をもって、喩えとして相応しくないと指摘するのはどうでしょう。これを指摘したとしても、100円玉が1枚あって更にもう1枚もらって200円になることを前提に用いて論を展開することの反論にはならないでしょう。つまり、論への反論ではなく、別の目的をもってなされた何かでしかないということになります。

つまり、AをBに喩えたときに、Aにおいて無視されている属性があることを指摘した場合にはAを前提とした論への反論として成立する可能性がある一方、Bにおいて無視されている属性があることを指摘した場合にはAを前提とした論を展開することへの単なる妨害工作にしかなっていない可能性があるような気がします。

なお、100円玉は金属で出来ているけれど100人の集団は肉で出来ているみたいな指摘は、もとより論外です。

ブックマークレス

反論以前に言ってることが分からないので反論しようが無い

はてなブックマーク - lastlineのブックマーク / 2008年5月2日

とわざわざ表明しなければならない程度には心に響くものがあったということでは。

高度なネタとしか思えない。

はてなブックマーク - Lhankor_Mhyのブックマーク / 2008年5月2日

ネタであることにして気持ちに整理をつけたくなるほどには、何か気にしなければならないことが本記事の主張に含まれていると感じたと表明されているのでしょうか。

100人のうち、1体が人形だった場合は100人と言えないのではないか?とか、100円玉は両替して崩せるが、人体は崩せない気がします。しかし、人体もバラバラにできるような気がします。とか言い出すのがくっぱメソッド。

はてなブックマーク - takoponsのブックマーク / 2008年5月2日

ちなみに、その100人はAをBに喩えたときのAでしょうか、Bでしょうか。そこが重要だといっているのですけど。

そもそも喩えで言説を正当化するのが間違い。喩えは話の枝でしかない。

はてなブックマーク - z0racのブックマーク / 2008年5月2日

しかし、その枝の部分の、しかもAをBに喩えたときのBで無視されている属性の存在を指摘する突っ込みの多いこと多いこと。

どんな書き方をしてもこの人の文章がわかりにくいのは何故なんだぜ

はてなブックマーク - ekkenのブックマーク / 2008年5月2日

表現と主張内容は別の話ですから、どうでもいいです。

もし世界が100人のくっぱ氏のいる村だったら。かなり分かりづらい世の中だと思われます。

はてなブックマーク - mgkillerのブックマーク / 2008年5月2日

想像を膨らませて楽しそうですね。

人気ありすぎ!

はてなブックマーク - kanoseのブックマーク / 2008年5月2日

本記事の結論を認めたくない人が多いからなのではないでしょうか。

わかってないのはわたしだけなのか、と不安にさせるのが目的?

http://b.hatena.ne.jp/reitoki/20080502#bookmark-8445674

本記事の最後から2番目の段落が結論なので、その結論を導く論理について(私の喩えなど気にすることなく)ご自身で構築を試みられてはいかがでしょう。喩えなんて枝葉ですから、結論として私が主張していることが成立するか否かをご自身で吟味することが、不安の解消につながることと思います。

何がいいたいのかさっぱりわからない

はてなブックマーク - kanimasterのブックマーク / 2008年5月2日

わざわざそれを表明したくなるほどには、何かありそうだと感じたということでしょうか。

過去の言説も含めて、↓これだけ「わからない」と散々言われている現状についてくっぱさんとしては「どうにかする気」があるのかをあらためて聞いてみたい。

はてなブックマーク - fjskのブックマーク / 2008年5月2日

たぶん、私が結論として述べている主張内容は無視できない程度に自身にとって都合の悪いものではあるけれど、かといってそれを否定する論理も自力では構築できないという場合に、表現上の不備に矛先が向かうという構図なのではないでしょうか。とりあえず私としては「どうにもする気」はないですけど。

分割可能な100人と不能な100円玉じゃ喩えになってないじゃんかと。

はてなブックマーク - NOV1975のブックマーク / 2008年5月2日

分解不能な100円玉を分解可能な100円玉を分解不能であると理想化して喩えることは可能ではないでしょうか。高校物理の力学などの問題で、物体の量子力学的な振る舞いなどを無視して理想化して扱うのと同じようなものだと思います。で、逆向きに喩えるのは無理が生じるケースがあるという話。

意味が分からないからといって全く反論しないと、「反論がないということは私の書いたことに納得し、正しいと認めたということですね」とか言い出しかねないのがくっぱメソッド。

はてなブックマーク - rusicaのブックマーク / 2008年5月2日

でも言い出さないのがくっぱメソッド。ちなみに、私もコメントをいただいても意味が解らなくて無視している部分はたくさんありますが、相手がその私にとって意味の解らないものを前提に論を更に進めようとした場合には、そのタイミングでその前提の根拠は何であるかと尋ねるというスタイルで対応しています。

余りに喩え方が下手糞だとツッコミが入るということを回りくどく言うとこうなるって話?

http://b.hatena.ne.jp/pbh/20080502#bookmark-8445674

主張されている結論を否定したいのだけれど、論理的に否定するのが難しい場合に、喩えの上手い下手に関して突っ込みを入れたくなる人が現れるという話。具体的には、AをBに喩えたときに、Bにおいて無視されている属性の存在を指摘する人たち。

たとえの部分すっ飛ばして読んでも何を言いたいのかよくわからなかった.

はてなブックマーク - Brenhiltのブックマーク / 2008年5月3日

そのことをわざわざ表明したくなる程度には、本記事の結論には心に響いてくるものがあったということを表明されているのでしょうか。

子供?

はてなブックマーク - llilのブックマーク / 2008年5月3日

なにもそこまで判りやすくご自身のフラストレーションを表明されなくても。