公開とは

前回の記事で「公開」という行為の概念について(あるいは、他人のなした公開という行為について)、人によっては過剰な前提をおいて解釈しているのではないかということを書いたのですが、そのあたりについてもうちょっと詳しく考えてみたいと思います。

まずはじめに、たたき台としての「公開」という概念として、

  • 特定の手順を踏めば誰でもそれに接することができるようにすること

としましょう。あくまでもたたき台ですので、前提条件が少ないという意味でより原始的な概念をどなたかから提案していただけたら、そちらに変更して議論を進めることにやぶさかではありません。現状では、例えば、その本を売っている書店で自分のお金を払えば誰でもそこに書かれている内容に接することができる、ウェブでそのサイトのURLを自分で指定すれば誰でもそこに書かれている内容に接することができる、というようなイメージです。

さて、ここで気になるのが、「公開」という行為に関する概念に、更に

  • 他人が意図的に新たな手順によってそれに接することができる状況を提供することについて納得している

という前提が含まれるかどうかです。例えば、誰かがテレビ番組をキャプチャしてその画像をウェブ上に掲載したとします。その画像がウェブに掲載されるまでは、その画像を見ることによってその番組の一部に接することはできなかったわけで、もしそうだとしたら、キャプチャ画像を掲載した人は、意図的に新たな手順によってそれに接することが出来る状況を提供したということになるでしょう。ウェブにおけるリンク行為についても、あるサイトを他人が意図的に選んで自分のサイトからリンクした場合、それがなされるまではそのサイトからの直接のリンク先として閲覧することができなかったという意味で、新たな手順によってそれに接することが出来る状況を意図的に提供したということになります。

はたして、これらの行為をなされることに対して納得しているという条件は、「公開」という概念に含まれるのでしょうか。

たぶん含まれないのではないでしょうか。なぜなら、他人が意図的に新たな手順によってそれに接することができる状況を提供することについて納得していないままに、特定の手順を踏めば誰でもそれに接することができるようにすることは可能だからです(例えば、ウェブはその行為が可能なメディアであり、無断リンク禁止を宣言しているサイトは、その一例であるとも言えるでしょう)。もしもこのような行為を「公開」の概念から外れるとするならば、これらの行為は世の中にいくらでも存在するという意味で、「公開」の概念から外れるかどうかは単なる言葉の問題でしかないわけです。

つまり、あえて「公開」という言葉を用いずに表現するならば、

  • 特定の手順を踏めば誰でもそれに接することが出来るようにすることは、必ずしも他人が意図的に新たな手順によってそれに接することができる状況を提供することについて納得していることを意味しない

ということは言えそうな気がします。

ブックマークコメントへのレス

面白理論

はてなブックマーク - ekkenのブックマーク / 2008年1月3日

面白な部分がどこなのかを言わなければ、本当に面白理論なのかかどうか確かめようがないという意味で、自身の価値観に基づく単なる決め付けにしかなっていないような気がします。

じゅげむを唱えているんじゃないんだからさ

はてなブックマーク - SiroKuroのブックマーク / 2008年1月3日

いったい何がおっしゃりたいのか激しくイミフ。

ブロードキャストにID/PASSWORDが含まれているのを盗聴されたのに「俺は公開してない」と言い張るようなそんな世界の話?

はてなブックマーク - NOV1975のブックマーク / 2008年1月4日

たぶんそのような世界の話ではなくて、例えば無断リンク禁止宣言をしているサイトに対して「お前が自ら公開したくせに、俺が他人にお前のサイトへの新たなアクセス経路を提供することをお前があらかじめ納得していないのは変な話だ」と主張するような論法には無理がありそうだと言うことを述べているわけです。