ウェブそもそも論(の謎×21)

個人的な願望に過ぎないので、その希望を打ち砕いたとしてもなんの問題もない

2007-10-22

かどうかは、その人がその行為をする自分自身のことをどのように考えているか次第ではないでしょうか。その行為をしてもぜんぜん平気という人には問題はないかもしれませんけど、すべての人がそのような人であるとは言えないような気がします。自分自身を納得させることができる人はその行為をすればいいし、そうではない人はその行為をしない自由も制限されてないように思います。

ちゃんちゃんさんが「こんなこと頼める筋合いでないのは理解していますがリンクを外して頂けませんでしょうか」というお願いとか、あるいは「当該リンクは文章の流れを分断しており、存在しない方が文章のクオリティが上がると思います」という提案(私の書いた文章のクオリティが上がるというのは私にとってもメリットのある提案)のつもりで、「許可なくリンクを張るとはどういうこと/良心の欠如/リンクを外して/良識があるならわかるはず」という文章を書いたとしたならば(*1)、それはちゃんちゃんさんの日本語能力の欠如としかいいようがありませんし

2007-10-22

つまり、「ウェブにおいてリンクをされたくないと主張するのは不当である」とする「ウェブそもそも論」は、

  • 「リンクをされたくない」と主張する人は、「そのリンクが存在しないほうがネットワークトポロジーとして望ましい」と主張しようとしている可能性を否定できないが、日本語能力が欠如している
  • 日本語能力の欠如している人の主張は、相手に都合のよい解釈ではなく自分に都合のよい解釈のもとに扱っても構わない
  • したがって、「リンクをされたくない」という主張がなされた場合に、「そのリンクが存在しないほうがネットワークトポロジーとして望ましい」と主張をしようとしていることにはならない

という前提が背後に存在しているということなのでしょうか。でも、それって以前にも増してかなりローカルな価値観に基づく論にしかなっていないような気がするのですが。