ウェブそもそも論(の謎×15)

話がちょっと広がりぎみに感じるので、論点を絞ってみたいと思います。

「ある種の人に知られたくない」「ある種のサイトからリンクされたくない」というのは単なる個人の希望であって、他人がそれに配慮しなくても不当ではありません。

2007-10-19

「それをしない自由が制限されていないにもかかわらず、その人を選んでその人の希望を打ち砕くことをその人を納得させることなくする」ことの自由は制限されていないという点については同意です。リンクをされた人は、ウェブを利用していることの自己責任として、上述の行為をする人に「その行為をするな」と文句を言える立場にないということも否定しません。

これまで責任、無責任という言葉を勝手に使ってきましたが、もしかしたらsci98さんとは異なる意味で用いていた可能性があるかもしれません。私が言いたかったことは、責任、無責任という言葉を用いることなく表現するならば、

  • リンクをした人はリンクをされた人からリンクを止めるように言われたら、「それをしない自由が制限されていないにもかかわらず、その人を納得させることなくその人の希望を打ち砕くことをしている」という事実を背負うことを(相手を納得させるかリンクを外すことによって)回避するか、(どちらもすることなく)その事実を背負うか、のどちらか一方を自身の自由裁量のもとに必ず選択しなければならない

ということです。もしもこのことについてご同意いただけますならば、リンクをする側、される側の責任についてこれ以上の議論は必要ないように思います。

さて、ウェブそもそも論の謎に関する議論の本筋に戻りたいのですが、私の疑問は「どのような論法を用いれば、リンクを止めるように言うことが不当な行為であると言い得るのか」というあたりにあります。そのリンクが存在するほうか存在しないよりもウェブのネットワークトポロジーとして望ましいとは一般に言い得ていないと思います。また、

単に「物理的に可能だからといって正当な行為とは限らない」と言いたかっただけですけど。

2007-10-19

について、もし仮に「正当な行為とは限らない」と言い得たとしても、「不当な行為である」と言い得たことにはならないことはsci98さんも十分にご承知のことと思います。

だとしたら、いったいどのような論法を用いれば、ローカルではない形で「リンクを止めるように言うことが不当な行為である」と言い得るのでしょうか。もしも言い得ることを示せる論法が現時点において開発されていないならば、現状では「ウェブそもそも論は一般性を言い得ていない単なるローカルな論にしかなっていない」ということにしかならないのではないでしょうか。

「リンクを止めるように言うことが不当」かどうかをウェブの「そもそも」の観点から議論するうえで、論点を一つ提起したいのですけど、

  • ウェブはリンクをされる側が自分のサイトへのリンクを物理的に拒否することを禁止するという意図のもとに設計されている

ことについては同意します。しかし、

  • ウェブは「そのリンクが存在するほうか存在しないよりもウェブのネットワークトポロジーとして望ましいかどうか」についての議論にリンクをされる側が参加することを禁止するという意図のもとに設計されている

ということは言い得るのでしょうか。