ウェブそもそも論(の謎×11)

少しずつではあるけれど無限ループに陥ることなく着実に前進しているウェブそもそも論の謎についての議論ですが、

仮に、「情報を互いに公開するけどリンクは許可制」という場所(そういう目的で作られている場所)なんだけどシステムに不備があり許可のないリンクが出来てしまう場所があったとする。そのような場所は「自由なリンクを制限する機能を備えていない」けど、でも許可を得ないリンクは不当です。

2007-10-17

仮にご飯茶碗が湯飲みとして使ったり、さいころを転がしたり、ひっくり返して包丁を研ぐための目的で作られていなかったとして、それをしたとしても必ずしも不当とはいえないような気がしますけど。目的って関係ないのではないでしょうか。

もしも「どのような人であってもウェブを『このサイトからはリンクをされたくない』という立場で使用してはならない」と言い得るのならば、そのような立場で使用するのは不当なのでしょうけれど、それが言い得ることを示すことができる論法はこの世に存在しているのでしょうか。たとえ先人たちの尽力を根拠にしたとしてもローカルな結論しか導けないような気がするのですけど。

例えば「アダルトサイトや嘲ることを目的に晒し行為をするようなサイトからリンクをされたくない」という立場でウェブを使用している人なんていくらでもいると思うのですけど、その人たちのウェブの利用は不当なのでしょうか。

「情報を互いに公開するけどリンクは許可制」という場所が好きな人はそういう場所を使いましょう、なければ作りましょう、作れないからWWWを使うのならば、少なくとも、リンクされた時に『俺はリンクされるのが嫌なんだよ。リンクを外せよ。』という身勝手なクレームを付けるのは慎みましょう、と思います。

2007-10-17

「どのような人であってもウェブを『このサイトからはリンクをされたくない』という立場で使用してはならない」と言い得えることを示すことなくそれを言い放ったとしても、押し付けがましい単なるローカル発言をしたに過ぎないような気がします。

私は「リンクを外せよ」という要求の正当な理由を思いつきませんでしたが(いくつか考えたが全てリンクの問題ではなくリンク先についてのコメントの問題に帰結してしまう)、くっぱさんはなにか例を思いつきますか?

2007-10-17

私の論では、リンクをする自由と引き換えにその行為の責任を負っているのはリンクをした側なのだから、もしもリンクをされた側から「なぜあなたは私のサイトにリンクをしたのですか(私が納得せざるを得ない理由を説明できないならばリンクを外せよ)」というクレームがあったならば、相手に納得してもらえる説明をする立場にあるのはリンクをした側ということなのですが。もちろん、相手を納得させることなく無責任な態度をとる自由も制限されてはいませんけど。

この観点からもう一度疑問の原点に戻ると、

「自由にリンクできること」という目的を達成するためのシステムを使っておきながら「自由にリンクされるのは嫌だ」と思うのは異様です。自由にリンクされるのが嫌なら自由にリンクできないシステムを使えばいいだけです。

2007-10-13

の「自由にリンクできること」は正確には「リンクをする人の責任のもとに自由にリンクできること」であって、さすがにTimothy卿であっても「リンクをする人が責任を負うことなく自由にリンクできること」みたいなことは言ってはいないのではないでしょうか(また、もし仮に言っていたとしても、現状としてウェブは彼の許可なく利用できるという意味で、単なるローカル発言にしかなっていないのではないでしょうか)。

もしそうだとしたら、例えば「あなたのサイトからリンクをされるのは嫌だから、あなたが私のサイトにリンクをする自由を行使するならば、その責任として私が納得できるだけの説明をしてください(説明できないならリンクを外してください)」みたいな意味で「(責任が果たされることなしに)自由にリンクされるのは嫌だ」と思う人はいくらでもいると思うのですけど、そのような人たちが異様であるということがどのような論理で導かれるのかという謎が生じるような気がします。

もしもリンクをした人がリンクをされた人からの「リンクを外さないなら納得できる説明をせよ」との要求をわがままと扱ったりしたら、無責任な態度をとったということにはならないでしょうか。

ブックマークコメントへのレス

立場も着地点も見えず無駄に長い。最後に彼だけが残り、彼の結論が終着点と思われる危険性。しかし口を出せば相手が疲れ果てるまで延々と続く。自分の「ための議論」に他者の時間を浪費させている事に気がつくべき。

はてなブックマーク - fjskのブックマーク / 2007年10月19日

議論を終わらせたいのなら、私の論に矛盾があることを示すことによって議論を終わらせればいよいのではないでしょうか。それをする自由は制限されていないような気がします。