続なぜ人を殺してはいけないのか?

前回のエントリーでは、「相手を殺そうと思って問答無用に殺す」という行為が、

  • その行為がなされたという事実をなかったものとして扱うことのできない行為をその人にすることを決定し、それがなされるのを回避するだけの猶予を相手に与えることなく、その行為をなした

という事実が生じさせることになることを指摘し、

  • 相手が大切にしている思い出の品を問答無用に破壊する
  • 相手が親身に見守っている道路の隙間に生えた大根を問答無用に切断する
  • 相手が無断リンク禁止を宣言しているサイトに問答無用にリンクをする

という行為も同じ事実を生じさせる行為であるということを論じたのですが、この事実における注目点がどこにあるのかについて本エントリーでは論じてみたいと思います。

仮にこの事実が「その行為がなされたという事実をなかったものとして扱うことのできない行為をその人にすることを決定し、その行為をなした」であったとしましょう。どのような違いがあるでしょう。例えば、大根の切断行為で言えば「相手が親身に見守っている道路の隙間に生えた大根を、切断することを相手に通告して切断されないような対処をする猶予を与え、それでも相手が何ら対処をしないならば切断する」という行為であっても、相手が別の場所に植え替えをするなどの対処を何らしなかった場合には、上述の事実を生じさせることになります。

どちらも結果として大根が切断されてしまえば、相手にとっては二度と取り戻すことのできない不可逆な状況に陥ることになります。しかし、この両者には明確な違いがあります。

後者の「切断することを相手に通告して切断されないような対処をする猶予を与え、それでも相手が何ら対処をしないならば切断する」という行為の場合は、大根を親身に見守っていた人が別の場所に植え替えるなどの対処をすれば、その大根が切断されるという取り返しのつかない状況を自ら回避することができたわけです。たとえ大根を切断した人がその行為をすることを決定したとしても、通告後に回避措置をしていたら、大根が切断されるという取り返しのつかない状況は生じません。つまり、大根が切断されるという事態を生じさせる、させないについての最終選択権を与えられているのは大根を親身に見守り切断を通告された人であって、大根が切断されたとしても、大根を切断した人は大根を親身に見守っていた人の判断に従っただけということになります。

一方、前者の「問答無用に切断する」という行為の場合は、大根を親身に見守っていた人にとっては、大根を切断した人がその行為をすることを決定したという事実を知るのは、大根が切断された後ということになります。たとえ道路の隙間に大根が生えていたとしても、大根を切断した人がその行為をすることを決定しなかったならば、その人によって大根が切断されるという取り返しのつかない状況は生じません。つまり、大根が切断されるという事態を生じさせる、させないについての最終決定を下したのは大根を切断した人ということになります。

ということで、「それがなされるのを回避するだけの猶予を相手に与えることなく」という条件のあるなしによって明確な違いがあることを見てきたわけですが、だとしたら、この条件を満たす行為をすることによって生じる事実というのは、

  • その行為がなされたという事実をなかったものとして扱うことのできない状況にその人を陥れることを、陥れられる相手ではなく陥れる側の自分が最終的に決定し、その行為をなした

とも言えそうです。

もしそれが本当ならば、そのような行為をされた側にしてみれば、「なぜそのような状況に陥ったのか」という疑問(状況を受け入れざるを得ないのは自分なのだから、それを説明する立場にあるのは自分自身)とは独立に、「なぜこの人から陥れられたのか」という疑問(それをすることを最終決定したのはその人なのだから、それを説明する立場にあるのはその人)が生じたとしても不思議ではないような気がします。

そして、「相手を殺そうと思って問答無用に殺す」という行為を含め無断リンク行為などの「問答無用」になされる行為が話題になる背景には、

  • 他人を不可逆な状態に陥れる行為をすることを、される相手の判断ではなく、自分の判断で決定し、それをなすことの正しさを説明できるのか

という疑問が存在しているのかもしれません。

ブックマークコメントとに対するレス

無断リンク禁止」と宣言したなら、無断リンク禁止が容易であることを知っている。しかし宣言する矛盾

はてなブックマーク - lastlineのブックマーク / 2007年9月28日

無断リンク禁止が容易であることを知っている」は「無断リンクが容易であることを知っている」の書き誤りでしょうか。もしそうであったとしても、無断リンク禁止宣言がしてある場合と、していない場合で、無断リンク行為をすることが意味するものは変わってくるので、矛盾はないような気がします。

これはもうトンデモSFだよな

はてなブックマーク - ekkenのブックマーク / 2007年9月29日

どの部分がどのような意味でトンデモSFなのかを言わなければ、何も言い得てはいないのではないでしょうか。

なんで猶予っていう条件が重要パラメーターになっているのかどうしてもわからない。任意に持ち込んだパラメーターに思える。

はてなブックマーク - NOV1975のブックマーク / 2007年9月29日

リンクをされる前に消滅させたり書き換えたりする猶予を与えられたにもかかわらず、リンクをされる側が何の対処もすることなくリンクをされるがままにしたのならば、リンクをする側がリンクの出現を最終決定したのではなく、リンクをされる側がリンクの出現を最終決定したことになるという違いが生じるからです。

為にする議論ばかり

はてなブックマーク - HDPEのブックマーク / 2007年9月29日

少なくとも具体的にどの部分がその議論になっているのか例を挙げなければ、単なる言いっ放しにしかなっていないような気がします。