一般論と特殊論

当ブログでは、さまざまな前提を廃したときに一般論として何が言えるのかということについてのチャレンジをしているのですが、コメント欄などにいただくコメントを見る限り、どうやら一般論とローカルな特殊論を混同されている方もいるようです。

世の中、ローカルな視点で見ればさまなざな秩序が存在していることは私自身は百も承知しています。しかし、あるローカルで存在している秩序が、一般に別のローカルで成立しているとは言い切れません。したがって、あるローカルで存在している秩序を前提にした議論により導かれた結論は、別のローカルにおいても成立するとは言い切れないことになります。

例えば、「無断リンク禁止宣言をしないのがウェブの慣習である」というのは、あるローカルでは秩序として存在しているのかもしれません。しかし、たとえこの前提で議論を展開した結果として「無断リンク禁止宣言は迷惑な(悪い)行為である」という結論が得られたとしても、それはあくまでもそのローカルでのみ通用する特殊論であって、そのローカルの外から見れば「根拠なく他人を悪人と決め付けている」だけの主張でしかありません。つまり、「無断リンク禁止宣言は迷惑な(悪い)行為である」を一般論としての結論とするためには、「無断リンク禁止宣言をしないのがウェブの慣習である」という秩序が自分のローカルでのみ存在しているのではなく、一般にウェブ全体における秩序として存在していることを示さなければならないでしょう。

もちろん、「禁止宣言のなされている行為をすることはマナー違反である」というのも、あるローカルでは秩序として存在しているかもしれませんが、それを前提として「無断リンク行為は心ない(悪い)行為である」という結論が得られたとしてもローカルな特殊論でしかなく、そのローカルの外から見れば「根拠なく他人を悪人と決め付けている」だけの主張でしかありません。

では、「根拠なく他人を悪人と決め付け」るような結論に陥らないようにローカル横断的に成立する議論をするには、どのように議論をしたらよいのでしょう。各自が「秩序が存在している」として扱っている前提をないものとして議論をすれば、どのローカルにおいても成立する結論が導けるのではないでしょうか。当ブログでは、このような議論をもって「一般論」として扱っています。

さて、そのような一般論に対して反論をする場合、どのような形で反論をすることが可能でしょうか。ひとつは、

  • 一般に存在していることを言い得ていない秩序が前提として盛り込まれていることを具体的に明らかにすることによって、その前提のもとでしか一般性を言い得ていない特殊論であることを指摘する

という形の反論です。もうひとつは、

  • ある秩序が一般の秩序として存在していることを示したうえで、その秩序の存在を前提として盛り込んだ場合に、異なった結論が得られることを指摘する

という形の反論です。

一方、反論として成立していないのは、

  • ある秩序が一般の秩序として存在していることを示すことなく、その秩序の存在を前提として盛り込んだ場合に、異なった結論が得られることを指摘する

という形のものです。このような指摘がなされた場合には、それが本当に反論として成立していないのかどうかを確認するために、その秩序がローカルではなく一般の秩序として存在していると言い得るような根拠を持っているのか、それとも一般としての根拠のないままにローカルな特殊論を展開しているだけのことなのか、そのあたりについて問い合わせがなされることになるでしょう。

そして、もしもその問い合わせに対して後者としての返答しかなされない場合には、一般論を議論している場においてなぜその人はあえて自分のローカルな特殊論を展開したのか?という不可思議な状況が生じることになりそうです。

ブックマークコメントへのレス

自分は一般論を書いているという場合でも、それはその人の主観的意見だからなぁ。

はてなブックマーク - ekkenのブックマーク / 2007年9月17日

そのことについてなのですが、一般論への反論の形として挙げた2つのうちの最初の形の反論が他者からなされた場合にはいつでも、指摘された秩序の前提を取り払ってより前提の少ない一般論として洗練させるか、取り払うことができなくて特殊論に成り下がるかのどちらかの選択が迫られることになるので、暫定的な一般論としては成立しているような気がします。

一般性と特殊性を語る前にエントリ主が考えてる”一般”と”特殊”の基準値を明確に示さない限り誤解と溝は埋まらないよなあ。

はてなブックマーク - mgkillerのブックマーク / 2007年9月17日

一般と特殊は完全に分かれているわけではなくて、特殊論から一般論へと洗練させている過程にあるという感じの扱いです。いつでも誰でも、暫定的な一般論において暗黙のうちに仮定されている秩序の存在を指摘することによって、特殊論的な側面があるとの反論をすることができます。

また、特殊論とは単にある秩序の存在を前提とした議論ということなので、その前提のもとでの一般論というのもありだと思います。大切なのは、どのような秩序が存在するとの前提のもとになされた議論なのかということと、その議論によって導かれた結論によって人格を評価される人がその秩序の中に存在していると言い得ているのかどうかという点にあるような気がします。

誤解の大元は用語の不一致だと思うのだけど。あと、僕も一般論として、と前置きして良く書くけれど、それは「一般」を代弁しているのではなくて、「こういうの多いよね」って程度に過ぎないかな。

はてなブックマーク - NOV1975のブックマーク / 2007年9月17日

そう、「こういうの多いよね」では「一般」を代弁していることにはなっていなくて、「多い」かどうかはローカルでは「多い」のかもしれなけれど、そのローカルの外では一般に「多い」と言い得ているわけではない場合、もしもそこから導かれる結論に他人の人格に関する「悪い」を意味する部分が含まれていたとしたら、「根拠なく他人を悪人と決め付けている」という形の主張にしかなっていないのかもしれません。

「扱っている前提をないものとして」するはずなのに、「無断リンク禁止宣言」という秩序は受け入れて議論しようとしている。なぜ例示がすべて「無断リンク禁止宣言反対」への反論なのか。反対がための一般論では?

はてなブックマーク - fjskのブックマーク / 2007年9月17日

秩序とは、「無断リンク禁止宣言」をしてはならない、「無断リンク禁止宣言」をしなければならない、というようなものを言っています。私の主張は、ローカルによってはそのような秩序が存在しているような雰囲気はあるかもしれないけれど、ローカルを超えて全体としてみた場合には、「無断リンク禁止宣言」はしてもいいし、しなくてもいい、というようなどちらもありの混沌の状態なのではないかというものです。

次回のエントリーでは、「禁止宣言のなされている行為をすることはマナー違反である」という主張に対する反論を書く予定です。