無断リンクのコスト

厳密にいうと無断リンク問題とは微妙に違う話になるかもしれませんけど、ネットではあるサイトのコンテンツが別のサイトからリンクをされときにトラブルが発生することがあります。このトラブルは、リンクをされたサイトが「勝手にリンクをされるのは嫌だから、勝手にリンクをするな」と要求し、リンクをしたサイトは「コンテンツは公開しなければ勝手にリンクをされることもないのだから、コンテンツを公開したらからには勝手にリンクをするなと要求するな」と要求し、互いの要求が衝突することによって発生します。

個人的には、後者にちょっとだけ無理があるような気がしています。

というのも、要求そのものは相手が受け入れてくれなければ自分では相手に強制することはできないわけで、早い話、お互いに要求は自分にとってはそうされるのが嫌だという気持ちの表明みたいなものです。だとすると、前者の主張は「勝手にリンクをされるのは嫌だ」であり、後者の主張は「コンテンツを公開しなければ勝手にリンクをされることもないのだから、コンテンツを公開したくせに勝手にリンクをされることを嫌がるのは変なことであって、そのような変な態度をとられるのは嫌だ」ということになるでしょう。しかし、はたして本当に「コンテンツを公開したくせに勝手にリンクされることを嫌がる」のは変なことなのでしょうか。

重要な点は、「勝手なリンクをさせない」と「勝手にリンクされるのは嫌だ」の違いです。勝手にリンクをされたくない人が、「コンテンツを公開しない」の対案として、「コンテンツは公開するけれど勝手なリンクはさせない」ではなく、「コンテンツは公開するけれど勝手なリンクをされたら大いに嫌がる」という立場でコンテンツの公開を選択したのだと解釈するならば、勝手にリンクをされたときに嫌がるのは、ぜんぜん変なことではありません。というか、リンクをされる側はどのようにがんばったとしても「勝手なリンクはさせない」という物理的な強制力をもち得ないことは明らかなので、「勝手なリンクをされたら大いに嫌がってやる」ということを念頭にしていると考えざるを得ない状況であるといえるでしょう。つまり、コンテンツを公開して勝手にリンクをされてもそれを嫌がるほうが、コンテンツを公開しないよりもまだましという立場で公開しているのですから、勝手にリンクして嫌がられた側が「コンテンツを公開しなければ勝手にリンクをされることもないのだから」とか「自分から好き好んでコンテンツを公開したくせに」と主張したとしても、それは見当違いの主張にしかなっていないわけです。

結局のところ、勝手にリンクをされたくない人は、無断リンクをされても強制的にリンクを解除させることができないというコストを支払ってコンテンツを公開しています。それと同じことで、勝手なリンクをしたい人は、勝手にリンクをする際に、相手から嫌がられてもそれを強制的に止めさせることができないというコストを支払わなければならないのかもしれません。