現代文の授業は何のためにあるのか
文盲の感覚w - 消毒しましょ!を読んで思ったのですけど、もしも現代文の授業というのが「与えられた文章に対して(書き間違いや語句の多様な使用法の存在を考慮の上で)、書き手を馬鹿や文盲であると結論付けなくても済むような文脈的に筋の通る解釈を見つけ出す」ための技術や忍耐力を習得する機会であるならば、勉強しておくに越したことはないような気がしました。
ブコメレス
もっともなんだけどくっぱさんの主張は「文脈的に筋の通る解釈」ではないからなぁ。
はてなブックマーク - ekkenのブックマーク / 2009年8月23日
文脈的にどの部分に破たんがあるのかを説明することなしにid:ekken氏みたいに「文脈的に筋の通る解釈になっていない」を主張したとしても、口先だけの「ちょっかい」にしかならないわけですがw
「書き間違いを考慮」する現代文の授業なんてあるの?
http://b.hatena.ne.jp/makeshift/20090903#bookmark-15492750
そのような解釈はいったいどこから出てくるのでしょう?
「解釈を見つけ出す」方法を提示していない時点で「ちょっかい」はお互い様。
http://b.hatena.ne.jp/makeshift/20090903#bookmark-15492750
文脈的に言って、なぜ本記事でその方法を提示しなければならないのか、はなはだ意味不明。
スルーしようと思ったけどあまりの不毛ぶりにイライラしたのでコメントした。
http://b.hatena.ne.jp/makeshift/20090903#bookmark-15492750
イライラするのは構わないのですけど、文脈的に筋の通るコメントをお願いしたいものです。>id:makeshift