「嫌なら読まなきゃよい」で済む記事・済まない記事

ウェブにおける「嫌だからお前はその記事を書くな」「嫌ならお前はこの記事を読むな」のような立場の対立について述べられた議論を目にすることがあります。たとえば、

無断リンク禁止」とかで「迷惑」って度々出た気がするけど、だったら「あなたの記事を読んだら胸糞悪くなります。読まなきゃ良いとかそういう問題じゃなくて、あなたに記事を書かれること自体が気分悪いんです。ほら、これって私に迷惑を掛けていることになりませんか?もう記事を書かないで下さいね」って言ったら書くの止めるのかな?

http://d.hatena.ne.jp/stac/20090505/1241480286

もその一例だと思いますけど、「書くな」「読むな」のどちらの要求が立場的に真っ当かについてはある程度判断は可能な気がします。

判断における注目点は、その記事が誰を選んで書かれたものであるか(つまり、誰にちょっかいを出している形になっているか)です。

もしも書き手が特定の個人を選んで書いているわけではない場合には、ある個人が「嫌だからお前はその記事を書くな」と要求したとしても、その要求は筋の通るものではなく、書き手からの返答としては「(この記事はお前個人のことについて書いたものではないのだから)嫌ならお前はこの記事を読むな(さもなければ、国家あるいはウェブを牛耳る組織にこの手の内容の記事を書くことを禁じるよう要求を出して認めさせよ)」で十分でしょう。

逆に、もしも書き手がある個人を選んで、その人のことについて書いているのならば、書かれた人からの「(なぜお前からそのようなことを書かれることを俺が受け入れなければならないのか筋の通る説明せよ、さもなければ、俺はお前からそのようなことを書かれるのは)嫌だからお前はその記事を書くな」という要求には筋が通るでしょう。そして、この要求に対する書き手からの「嫌ならお前はこの記事を読むな」との返答は筋の通るものではなく、無責任な行為といえるような気がします。